2017年10月11日水曜日

Day2-3 リバティ島・自由の女神博物館



台座の外に出てきたが、再び順路に従って歩いて行くと、最初にたいまつを見た場所に戻ってきた。そしてここからは、台座の中にある「自由の女神博物館」を見学するようになっている。これも料金はフェリーのチケットに含まれている。

最初に見えてきたのは、女神の顔。2メートル50センチくらいの高さだっただろうか。すごい迫力でびっくりしてしまうが、実物大だそうだ。結構ホリが深いのね。説明によるとこの顔つきは、女神像をデザインしたフレデリク・バルトルディの母親がモデルになっていると言われているそう。
デザインが決定するまでに、いくつか作られたサンプル模型。例えば、いちばん左のものは左腕を下に降ろしているし、いちばん右のは王冠のデザインが違う。
女神像はとても大きいので、200以上ものパーツに分けられてフランスから運ばれてきたのだが、これはそのパーツを作っているところの当時の写真と、銅を流し込んでパーツを造るための型。大きい…。
この写真に写っているのが、あのエッフェル塔で有名なギュスターヴ・エッフェル。彼はもともと鉄骨で頑丈な橋を造ることを得意としていたそう。
その得意な方法を女神像にも取り入れたということなのだが、まず最初に中心となる柱(さきほどアクリル板越しに見たもの)を立て、そこから枝のようにたくさんの棒を突き出させて、まず土台となる柱が完成する。そして次はその枝にパーツがくっつけられて、女神がかたち作られていく。こうすると柱と銅で作られたパーツの間には空洞ができる。
ここが重要なポイントで、空洞があることにより、地震やものすごーい強風で像が揺れたとしても壊れることはないのだという。
当時の記録写真がとても分かりやすい。
自由の女神完成除幕式の夜の様子を描いた絵。たくさんの船が海に出て、花火も打ち上げられて、女神はとても歓迎されたということがわかる。
 現在は博物館の中に展示されているが、昔は台座に設置されていたらしい有名な詩の書かれたプレートとその作者であるエマ・ラザラス。翻訳はこちら。いろいろな事情でアメリカに移り住んできた人たちにとって、いかに女神が希望を与えてくれる存在だったかがよくわかる。
女神は人々にとって良い印象の存在であった時代には、たくさんの企業の広告にも使われた。例えば「アイボリー」という石けんのポスターや、
 リーバイスのとっても大胆なポスターまで。
この博物館も、とにかくオーディオガイドの説明がわかりやすくて、とても楽しかった。なぜ銅像が世界遺産になったのかがよく分かったし、自分はアメリカの歴史について全然わかっていなかったことに気付かされた。


屋内の見学はここまで。
最後にもう一度外に出て女神像を眺めたら、リバティ島とはお別れである。
船着場に戻って再びフェリーに乗り、次はエリス島へ向かう。

0 件のコメント:

コメントを投稿